不動産コラム 9.立地

| 朝日クリエイトのTOPページへ | コラム目次 | 不動産情報誌 |

最近になり、都心を震源地として発生したミニバブルがはじけ、土地、住宅、マンションなどの、いわゆる不動産が値下がりに転じました。現在(平成20年10月13日)鷹の街道沿いや、水車通りなどにある売り地は坪単価で100万円を少し上回った価格になっていますが、1年以上売れていません。

新築の一戸建て住宅なども、売り出し価格から500万円以上さがっているものもありますし、中には1500万円さがったものもありました。さすがに、1000万円以上価格が下がれば売れてしまったようですが、完全に市場の読み違いだと思います。

昔から、「喉元すぎれば熱さをを忘れる」という諺があるのに、欲ボケすると、つい、目が眩んでしまうのが人間なのかもしれません。昭和60年頃から始まった不動産バブルのときなど、銀行の副支店長が不動産会社の営業部長みたいか感じで、不動産購入資金を貸しまくっていました。

国立の坪200万円の土地が、不動産屋の仲間内で、売った、買った、売った、買ったというようにあっという間に400万円になってしまう有様で、まさしく、狂乱地価を経験しました。

当社が現在地で営業を開始した平成3年に、水車通りに売り地があり、坪単価は当初200万円で、売却価格は170万円前後だったと推測します。何故、推測かというと、当時は不動産流通登録機構もなく、また、現在でも売却価格の登録について、強制も、罰則規定もありませんから推測するしかないのです。

現在では、東日本不動産流通機構(通称東日本レインズ)に、売却価格を検索できる項目がありますから、売却価格を登録してある物件については閲覧できますし、資料のダウンロードも可能になっています。

もっとも、売却情報は、組合員以外には公開されていませんから、一般の方は閲覧で着ません。それよりも、小泉構造改革以来、不動産流通業の間にも競争原理が押し寄せています。

もっとも、顕著なのが手数料の値引き競争です。賃貸系の情報新聞には、手数料を37%にし、ビルの一室を事務所にし、アルバイトを使ってホームページを充実させて集客。出来る限り、現地はお客様自身が行くようにする。

契約は、物件の管理会社に行かせてやって貰う。どうしても、という場合に限り、お客様が気にいった物件内で契約するか、近所の喫茶店で行なうという事です。宅地建物業法上は、事務所以外で契約してはいけないという規定はありません。

ただ、事務所以外の契約にはクーリングオフといって、契約後7日間は、白紙解約できることになっていますから、契約できないことはありません。しかし、取引主任者が取引主任者証を提示し、重要事項の説明をし、東京都の「賃貸住宅紛争防止条例に基づく説明書」についても説明する必要があります。

売買不動産については、さすがにそういった事はないと思いますが、賃貸でも、購入や、売却でも、その後のフォローは、極端に言って、孫、子の代までどころか、永遠に続くものなのであります。

同じ羽の鳥は同じ枝にとまるといいますから、手数料が安ければいいというお客様は、多分、利用すると思います。それは、時代の流れだからといえば、反論の余地はありませんが、手数料の値引きは最終的に自分自身の首を絞めることになります。

さて、免許がおりたのが平成3年の4月で、既に大学の入学シーズンが終わっていましたが、さして立地の良くない当社でも、翌年の入学シーズンには予想を上回るお客様が押し寄せてきました。

バストイレ一緒のユニットバスでも、まだバブルの余韻が残ってい、好景気が持続し、18歳人口は200万人を維持していた社会背景で、とにかく、多忙でした。その、来店者が少しずつ減少し始めたのが平成12年頃からでしたでしょうか。

自社ホームページの開設が平成12年の8月で、今年で約8年になります。16年の1月頃から5月にかけ異常値を記録した意外は、可もなく不可もないアクセス推移になっています。ヤフー登録もその他のサイトへの有料登録もしていませんから、こんなものでしょう。

しかし、たとえ登録しても、現在のページ構成では登録しても、アクセスの急増、集客効果もないと考えています。ホームページは原則として自社で作るものと思っていますので、たとえ素人ぽくっても、今のところ外注する気は有りません。

ドリームウィーバーとかイラストレーターなどや、CGIなどを使ってプロっぽいホームページつくりを考えないでもありませんが、ホームページビルダーを極めることもいいのではないかなどと、結構意固地なのでもあります。

平成3年ごろのパソコン事情は、現在のように高性能のものはなく、開店当初はリコーのミスターマイツールという中古パソコンと、東芝のトスワードというワードプロセッサーを、秋葉原の中古ショップで購入してきて使っていました。トスワードが7万円。マイツールが10万円。

今では3万円で中古パソコンが買える時代ですから、2011年に地デジ放送が始まるからといって慌てて買う必要はありません。現在、何十万円もするテレビも、2013年ごろには何万円台でかえると、確信しています。

私が98ノートを秋葉原のラオックスで買った時は、約40万円でハードデスクは8ギガぐらいでした。それが最近ではUSBステックでも15ギガぐらいのものが3000円ぐらいで手に入ります。私が大学に入り、練馬の中央大学のグランドそばにあった安在さん宅にお世話になっていた時に、まだ発売されたばかりのテレビがあったのですが、その時のテレビの価格は、現在の相場に換算すると100万円ぐらいだったそうです。

話が前後しましたが、現在、マイクロソフト社のOSはXPからVISTAに変わり、オフィスはエクセルの2003から2007に変わりました。2003では65536行だった行数が2007では1.048.576行になり、列は256列から16.384列になりました。

私の不動産以外のライフワークである競馬一点買いも、3連複、3連単などは組み合わせが何千通りもあるために、一つのシートでは出現間隔表がつくれなかったのですが、2007の出現で悩みが解決してしまいました。

行数も100万行あれば中央競馬の関東開催分は中山が5回、東京が5回、夏の福島と新潟が5回としても1440レース弱しかありませんので、後、694年ぐらいは大丈夫です。果たして、それまでに中央競馬が存続すればの話しですが。私の子孫はどうなっているか。

さてさて、情報通信機器やソフトの進化は1年一昔のように激進しますが、それに反して、商売のほうは超難しくなってきました。釣堀に例えると、現在の日本は、お魚のいない釣堀のようになっているという人もいます。

郊外型の大店舗も人口の減少とグローバル化する世界経済の波に翻弄されて、閉鎖する店舗が多くなっています。私の弟なども山形県の鶴岡市で不動産会社を営んでいるのですが、アルバイトをしているような状況で、おたまじゃくししかいない小川で鯰を釣ろうとしているようなのが地方の現状でしょうか。

鷹の台なども、東京の地方といっていいでしょう。鷹の台駅の一日平均乗降客は小平市の平成15年の統計表で、平成10年に27.857人だったのが平成14年には26.579人と700人ぐらい減少しています。当社のある水車通りなどは、鷹の台の地方にあたるかも知れません。

駅前の通りに比べたら、多いのは通る車の数ぐらいのものです。どんな商売でも、1に立地2に立地3,4がなくて5に立地ですから、中国やベトナムに行って賃貸管理業をやれば、日本で不動産会社をやるよりは楽に儲かるでしょう。現在、20歳前後だったら行動できるかも知れませんが、この世よりあの世のほうが近い現状では、考えるだけ疲れるので、諦めています。

最近購入した、「生まれ変わりの村」という中国のある村のお話では、あの世に行って、おばあさんが橋の袂で飲ませている「スープ」を飲まなければ、前世の記憶を持ったまま生まれ変われるという事なので、現在の配偶者とは菩提寺のお墓の前で会おうという約束になっています。

今朝も、「19歳と18歳で出会えたらいいね」と配偶者が言ったので、私は「中学校の3年生ぐらいがいいな」と言ったら「恐ろしい」といって大笑いしました。なんで恐ろしいのかは想像してみてください。